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可罰的違法性について|構成要件論序説|

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(1)

.  

可罰的違法性について│構成要件論序説│

岡田仁)←)

可罰的違法性概念の必要性

可罰的違法性概念の基礎

可罰的違法性の理論とは︑違法性は分量・段階を考えることのできる

概念であるという前提から︑犯罪は違法行為の中でも︑刑罰という強力

Eつ又それに適するような分量の違法性をもったも

のである︑とする見解である︒ぞれ故︑そこからは﹁それぞれの犯罪に

は︑一定の重さの違法性が予定されており︑仮りに形式上行為がある罰

条に当てはまるように見えても︑その違法性が極めて軽微で法の予定し

ている程度のものでない時には︑犯罪は成立しない山という結論が導き

この見解に対しては︑木村博士が︑違法性の判断は全法秩序の見地か

らなされるものであり︑﹁従って︑法的無価値性としての違法性は刑法的

に特殊なものではなく︑法的に一般的なものであることを本質とする︒

西

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そのような意味に胎て︑違法性に関し︑刑法的に特殊な違法性があるか

のように︑刑法的違法性とか︑可罰的違法性等の言葉を用いるのは妥当

でない︒特に︑可罰性は刑法上の違法行為が更に有責である場合に原則

として科せられる刑法的に特殊な法的効果としての刑罰に関連するもの

であり︑これに対して刑法上の違法行為はもちろん︑その違法行為を違

法行為たらしめる違法性は可罰性の前提条件に関するものであって︑可

罰性を制約するものではあれ︑可罰性によって制約されるものではないω﹂と反対されている︒つまり︑ある行為が可罰的か否かは犯罪成立要件

がすべて具わっているかどうかを調べた後に初めて出て来る結論である

のに︑その結論を成立要件存否の条件たらしめるなら︑それは﹁先決問

題要求の虚偽﹂となる│︒

これに対して佐伯博士は︑﹁可罰的という用語を有責な違法の意味で用

いられるから︑そうなるのであるω﹂︑可罰的とは有責の別名ではない︑

と反論される︒即ち︑刑罰を科せられる違法行為と︑そうでない違法行

為との聞には︑違法性自体に胎て違いがあり︑﹁それは︑違法性というも

のが︑根本に胎ては︑法秩序全体に通ずる統一的なものでありながら・:

その発現形式に胎ては︑様々の種別があり︑文軽重の段階があるという

認識に立つものであるJ

(2)

同じ違法行為であっても︑刑罰を科せられるものもあれば科せられな

いものもある︑という現象を︑佐伯博士は違法性の質・量が違うからだ

と説明される︒しかし︑木村博士の言われるのは︑違法だと言うだけで

は刑罰は科されない︑構成要件該当性や責任も文具わっていなければな

らない︑それ故︑ある違法行為に刑罰が科されなかった場合︑その原因

をただ違法性のみに求めるのは論理の飛躍である︑という趣旨である︒

違法性の発現形式(即ち刑罰︑損害賠償︑その他の法的効果)に様々な

種別・軽重があると言ったところで︑それが違法性に様々な種別・軽重

があるということの証明には何らなっていないことは明白であろう︒可

罰的違法論では︑犯罪成立要件としての違法性は︑刑法だけの特殊なそ

れであって︑法秩序全体からの統一的なそれは刑法とは関係ないものと

して放棄されざるを得ない︒

刑罰という刑法独特の効果は︑佐伯博士自身寸ある違法行為が︑犯罪

であるためには︑それが法律の定めるどれかの犯罪類型に当てはまらな

ければならない:・︒これを逆に言えば︑犯罪類型は︑刑罰に値する違法

行為の類型化されたもの(可罰的違法類型)ということになるJ

ておられるように︑犯罪類型(構成要件)概念の中に︑既に当然包摂され

ている︑と解するのが自然であると思われるω︒この点に着目されたのが

藤木博士であって︑博士によれば﹁構成要件は︑その犯罪類型につき当然

一定程度の重さの違法性を予定しているものという前提から︑それが類

型的に予想している最低基準に満たない程度の違法性を具えているに過

ぎない︑あるいは全く違法性を持ち合わせていない行為を構成要件のら

ち外に置こうとするもので︑実質的には︑構成要件概念の縮少解釈を行

なおヴとするものである問﹂︒即ち︑ある行為が刑罰を科すに値するかど

うか換言すると可罰性の有無︑は既に構成要件のところで判断されるω

とする見解である︒

違法性には軽重があるとする佐伯博士の見解に対する批判を見たが︑

次に博士の挙げられる具体的な例を検討し︑可罰的違法性という概念を

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を説明できな事新しく持ち出さなければ﹁刑罰を科されない違法行為﹂

いものかどうかを考えてみることにしたい︒ω

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同佐伯︑一七六頁︒

附﹁刑罰を科せられる不法と科せられない不法とのちがいは︑不法という

契機にではなく︑就中︑実証的に公式化された類型があるかないかに存す

る ﹂

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吋 ・

間藤木英雄︑刑法講義総論(以後︑藤木と略す)︑一一九頁︒

同従来の犯罪論体系を崩そうとす戸るのではないから︑構成要件該当性のと

L

一般を論じるものではない︒参照︑藤木﹁可罰的違法性

の理論﹂︑二一頁︒用語としては﹁当罰性﹂の方が適当であろう︒参照︑

木村︑法学セミナー︑一四四号︑五七頁︒

(20) 

佐伯博士によれば︑違法性には量の他に質もあって︑﹁重大な違法であ

ることが明らかであるにも拘らず︑刑罰に親しまない行為の領域が存す

ることを肯定しなければならないJ︒例えば﹁わが刑法典は︑以前から︑

近親姦に対する刑罰規定を設けていない︒:・それは人倫の基本を乱す行

為として︑その違法性は極めて重いのである︒しかし︑そのような親族

内部の︑しかも秘密に属する性生活にまで︑国家が刑罰権をもって干渉

することは好ましくないという一種の刑罰謙抑主義が存するのである︒

同じことは︑姦通罪の規定の廃止についても当てはまる︒:・これも姦通

が適法視されることになったためではない︒それは︑依然として違法で

あって︑そのことは︑民法が︑裁判上の離婚原因の第一にそれを掲げて

(3)

 

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いる点から見ても明らかである︒それは︑夫婦間の信頼を破る重大な違

法行為であり︑責任非難にも十分値するけれども︑これについても︑法

は︑国家権力が刑罰の制裁をもって介入することを適当でない即ち可

罰的違法でないーとしているのであるJ︒その他︑行政犯の多くは刑罰

に適さず︑また一般公務員の争議行為は禁止され違法とされているのに

も拘らず︑それを共謀し︑あおり︑そそこかした者だけしか処罰されな

いのは︑可罰的違法性がないが故に他ならないω︑とされている︒

しかし︑これらの例すべてに共通して言えることは︑不処罰について

何も可罰的違法性を持ち出すまでもなく︑構成要件が存在しないから︑

と言うだけで十分ではないかということである︒構成要件に該当しない

行為については︑違法性の質を論ずる必要は全くない︒その意味で可罰

的違法性は︑違法性とは関係なく︑せいぜい﹁なぜ立法者はそれらの行

為を犯罪として規定しなかったのかLを説明するための概念にすぎない︑

と言えるだろう

ω

それでは次に︑量はどうであろうか︒博士によれば︑﹁犯罪は可罰的違

法性のある行為であるから︑ある行為の違法性が全然なくならない場合

にも︑その違法性の質が異なり︑あるいはその重さが減弱され︑結局︑

当該犯罪としての可罰的違法に達しなくなる場合もあり得るJ︒違法性

の分量が減少する例としては︑二O

(

)

二一四条(嘱託・承諾に基づく堕胎)を挙げられる︒しかし︑同意殺人

が一九九条の殺人として罰せられないのは︑その違法性が一九九条の予

想している程度の違法性に達しないからと言うまでもなく︑同意があっ

た場合に適用される構成要件が特に定められているからと言えば済むこ

とであろう︒嘱託・承諾による堕胎︑軽犯罪等も同様である︒

また﹁二四四条の親族相盗の刑の免除は︑親族関係が親族間の窃盗行

為の違法性を減少させ︑結局︑窃盗罪としての可罰的違法性に達しない

ものとするω﹂からである︑と言われるが︑これも又︑二疋親族の窃盗行

為が不処罰になるのは二四四条が規定されているが故であって︑それ以

外の何によるのでもない︒これに対しては︑そのような形式的な議論を

しているのではないと反論されるかも知れない︒しかし︑以上見た限り

での﹁実質的﹂議論はここでは関係がない︒なぜなら︑我々は法律上の違法性に軽重があるかどうかを問題にしているのであって︑J斗法者はな

ぜ一定親族の窃盗を罰しないのか︑なぜそういう規定を設けたのか﹂と

いう立法上の動機・理由を論じているのではないからであるω︒ある規定が設けられた又は設けられなかった理由を調べることは︑確かに刑法を

解釈するに当って参考にはなるが︑それ以上ではない︒そのことに独自

の存在意義を与えるなら︑実質的違法性│構成要件該当性│違法性上旬

責性ということになって︑従来の犯罪論体系は否定されざるを得ない

結局︑個々の具体的な例を見ても可罰的違法性という概念が犯罪の成

否を判断するに当ってどうしても必要︑換言すると違法性には程度・段階があると考えねばならない理由を見出しがたい︒そこで最後に︑その

理論が生まれる元となった明治四三年の有名な一厘事件判決を見ておく

ことにしたい︒これはある煙草耕作者がその作った葉煙草の極一部を政府に納入しなかったために煙草専売法違反に問われたものである︒

結論を先に言えば︑この事件も構成要件該当性の問題として処理し得

るのであるから︑敢えて可罰的違法性という超法規的違法阻却事由を新たに設ける必要はないm

寸零細なる反法行為は︑犯人に危険性有りと認むべき特殊の情況の下

に決行せられたるものにあらざる限り︑共同生活上の観念に訟で刑罰の

制裁の下に法律の保護を要求すべき法益の侵害と認めざる以上は︑之に

臨むに刑罰を以てし刑罰の制裁を加うるの必要なく︑立法の趣旨も亦此

点に存するものと言わざるを得︑ず︒故に︑共同生活に危害を及ぼさざる

零細なる不法行為を不問に付するは︑犯罪の検挙に関する問題にあらず

して刑罰法の解釈に関する問題に属し︑之を問わざるを以て立法の精神

に適し法解釈の原理に合するものとす叩﹂︒

判決が﹁立法の趣旨﹂﹁立法の精神﹂﹁法解釈の原理﹂を強調し︑零細

(4)

な反法行為を罰しないのは︑﹁刑罰法の解釈に関する問題﹂であるとして

いることから明らかなように︑被告人の不処罰は刑罰法の解釈︑即ち構

成要件から導き出された︑と解すべきである︒例えば佐伯博士自身︑犯

罪類型(構成要件)の章に訟で︑﹁ある行為が法定の犯罪類型のいずれか

に当てはまるかどうかということは︑どこでも常に一目瞭然であるとい

うわけにはいかない︒:・現実の刑法典の犯罪類型は(特に我国のそれは)

その条文を一読しただけでは︑その内容を正確につかむことが困難で

あって︑そのためには︑法律家による専門的な解釈を必要とすることが

多い﹂︒例えば一九九条で﹁人ヲ殺シタル者﹂と言っても︑その﹁人﹂は

自分以外の他人であること︑他人であっても尊属や殺されるのに同意し

ている人は含まれないこと︑﹁殺シタル﹂には過失によるそれを含まない

こと︑等解釈によって初めて明らかになる事項が多いω

どの犯罪について見ても︑犯罪類型は︑それを規定する法文の解釈によっ

て初めて明らかにされるものである︒この際︑法文と犯罪類型あるいは

構成要件とを簡単に同一視し︑法文すなわち構成要件であると考えては

ならないYと言われている︒

解釈によって構成要件該当性なしとされたことが一層明白な事例は︑

昭和三二年三月二八日の同じく煙草専売法違反事件判決である︒旅館を

経営している者が︑専売公社指定の小売人でないのに同旅館内で宿泊客

に買置きしていた煙草を定価で売り︑又売る準備をしたというものであ

る︒最高裁は﹁右のごとき交付文は所持は煙草専売法制定の趣旨・目的

に反するものでなく:・同法二九条二項にいわゆる販売又は同法七一条五

号後段にいわゆる販売の準備に当るものとは解するととができない﹂と

判示して無罪を言渡したω︒今日︑旅館・料理庖等に訟でこのような煙草

の買置きが広く行なわれている実情から見ても︑構成要件該当で従って

可罰的違法性が推定されるとする超法規的違法阻却説ωは首肯し難い見

解であるように思われる︒

間佐伯﹁刑法における違法性の理論﹂一一一頁︒

J

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側佐伯︑前掲︑二

Ol

一 頁

ω

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従って︑可罰的違法性の理論は︑法律以前の﹁単なる立法論であり︑(佐

伯)教授にあっては立法論と解釈論が混同せられているのではないかとい

う批判が可能である﹂︒木村︑法学セミナー︑一四五号︑七四頁︒

ω

ω

回そういう立法理由を述べているものとして︑﹁親族内部に国家の干渉を

及ぼすのは適当でない︑あるいは法律は家庭に入らないという政策的見

地﹂︑消費共同体の存在︑親族情誼︑罪悪感の少なさ︑等さまざまな説が

ある︒参照︑八木国之︑刑法講座第六巻︑一六八頁以下︒佐伯博士自身︑

同意殺人について︑違法性の滅軽こそ﹁特殊の減軽類型を設けられた理由

L

とされている︒佐伯︑刑法各論(初版)︑一O

一 頁

同参照︑藤木﹁可罰的違法性の理論﹂︑二七│八頁︑二一頁︒確立された従

前の犯罪論体系は﹁犯罪の種別によって﹂﹁例外として﹂排斥されるにす

ぎないとする一方で︑﹁実質的な違法性の判断が構成要件的類型性の判断

に先行すると認められる場合は︑その例にこと欠か﹂ず︑﹁社会生活の過

:l七頁

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実質的違法性の微弱ということは︑せいぜい構成要件該当性の判断の標

準であって︑解釈に解消されてしまうべきものである︒参照︑藤木︑前掲︑

側大判明治四三年一O月一一日刑録一六輯一六二O

貰 ︒

側これを前述の親族相盗に当てはめれば︑二三五条﹁他人ノ財物ヲ窃取シ

タル者﹂で言う﹁他人﹂には︑直系血族・配偶者︑及び同居の親族︑は含

まれない︑と解釈されることになる︒従って︑親族相盗の不処罰は︑構成

要件該当性がないことによる︒

l

ω

その他例えば︑三友炭鉱事件(昭和コ二年二一月二日刑集一O

(22) 

(5)

 

.

 

O五頁)では︑﹁いまだ違法に刑法二三四条にいう威力を用いて

人の業務を妨害したものというに足りず﹂無罪になった︒無罪の理由とし

て︑違法性がないと考えるのは﹁疑わし

L

く(佐伯・旧法学教室四号︑五

七頁てまた判決は違法性の軽重にも触れていないから︑構成要件該当性

がないと解するべきである︒垂水裁判官の補足意見として︑極めて短時間

使

間﹁刑法解釈学はその対象たる刑法を認識する場合に成文たる条文を離れ

たり︑超越したり︑無視したりすることは絶対に許されないL︒木村︑刑

法総論︑二ハ頁︒刑法を離れた犯罪の実質的把握は︑不正確且つ漠然とし

たものであるが故に︑必然的に価値観が侵入し︑多分に個人的な尺度で行

動を評価することになる︒どういう行為が刑罰という強力な対策を必要と

し︑且又それに適するような質と量をもった行為であるかは︑刑法典を見

るのが最も確実である︒なぜなら﹁刑法典は行為に関する社会的評価を具

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25﹁元来違法性が軽微であるか否かの判断はきわめて困難であって︑判断す

る者の主観が影響するが︑可罰的違法性論はこれを判断の重要な基準とす

るため幣害の生ずるおそれがある﹂︒武安将光﹁可罰的違法性論︑多数暴

力犯罪の処罪等について﹂ジュリスト︑三九五号︑九七頁︒広く超法規的

違法阻却事由を認めれば︑﹁罪となる行為と罪とならない行為の限界は︑

一層あいまいさを増し不明確となる﹂︒藤木︑二一O

頁 ︒

次に︑なぜ可罰的違法性という概念を作り出す必要があったのか︑そ

の原因を探究しておこうと思う︒それを生み出す元となった根を取り除

司 昔

くように努力しないと︑将来また生え出てくる恐れがあるからである︒

これは同時に︑構成要件該当性の問題として処理すべきであるとするこ

との理由づけでもある︒

前述の如く︑佐伯博士は一九九条に﹁人ヲ殺シタル者ハ﹂と規定しで

あっても︑それは故意に殺した場合のみを指すのであって︑﹁過失で人を

殺した場合は︑そのなかには含まれない﹂と言われる︒そうすると︑正

当防衛で人を殺した場合︑それは初めから適法行為であり︑従って防衛

者には違法の認識がなく故意が存在しないからω

︑一九九条の構成要件

に該当しない行為ということになるω

︒正当防衛で適法とされる殺人は

故意も過失も問題にならないから︑一九九条以外の構成要件にも該当せ

ず︑既に構成要件該当性の段階で落ちてしまうのである︒これは博士が

構成要件は可罰的責任類型でもある︑即ち主観的事情(特に故意・過失)

の類型であるとされる以上当然であろうω

このように︑構成要件を可罰的違法と可罰的責任を帯びた行為の類型

と解するならば︑正当防衛に限らずすべて違法阻却事由である場合は構

成要件該当性なし︑という結論にならざるを得ない︒博士が構成要件を

﹁犯罪類型﹂と呼ぴ替えた理由は﹁構成要件という言葉は︑犯罪を成り

立たせる個々の要件を示すだけで︑それらが集まって一つの統一体たる

可罰行為の類型を構成しているのだということを示す用語としては︑必

らずしも適当でないグから︑である︒ところで︑犯罪類型という言葉が︑

犯罪を成り立たせる個々の要件が集まった一つの統一体を意味するとす

れば︑それら個々の要件をすべて充足する行為は︑間違いなく犯罪であ

m︒犯罪として確定する︒それにも拘らずなぜ従来の体系通り︑それら

を違法性の問題に留めておくことが博士の理論に捨て︑可能なのか︒博

士が構成要件に置き換えた犯罪類型なるものは︑それに該当してもまだ

犯罪ではない︒ただ可罰的違法性及び可罰的責任があるとの一応の推定

を生むだけのものに過ぎない︒

構成要件は本来﹁類型﹂であり︑推定しか生み出し得ないとすれば︑

(6)

それは犯罪を成り立たせる要素すべてを含まず︑いくつかの要素をそこ

から除外しなければならない︒そこで構成要体とは一件如何なる要素か

ら成っているのかを明らかにする必要がある︒構成要件理論の創始者

lリンクによれば︑構成要件とは犯罪の外部的輪郭であり︑専ら外界

に現われる行為と結果とに着目して構成された外部的行為類型であったω︒即ち構成要件は犯罪の外部的・客観的要素のみを意味していた︒この

立場に立てば︑構成要件に該当する行為は︑可罰的違法性を有するとの

﹁一応の推定﹂を受ける︑と言える︒客観的な﹁利益侵害は︑常に他人

の利益を侵害する者の﹃主観的﹄な意思方向と無関係に決定できる﹂わけではないからである守

ところが︑その後︑構成要件を違法性と結びつけ︑それは立法者によっ

て刑罰に値すると評価された違法行為の類型︑罰すべき程度の違法性を

具えた態度の型(可罰的違法類型)である︑との見方が有力になった︒

種々の犯罪要素のうち何が構成要件に含まれるか︑という聞に対して︑

この立場では当然﹁当該犯罪類型が予想する程度の違法性ありとするために重要な一切の要素がこれに属するグと答えることになる︒違法性の

有無を左右する限りでの主観的要素l即ち所謂主観的違法要素ーが構成

要件内に取り込まれる︑ということであるω

しかし︑このように客観的・主観的を問わずすべての違法要素から構

成要件が成り立っているとなると︑構成要件に該当する行為は二応の

推定Lどころか︑まさに確定的に違法である︒そうでなければ︑構成要

件は如何なる意味に於ても違法性の実在根拠

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g佳子はあり得

ない︒真に実在根拠であるなら︑メツガlが﹁不法阻却事由が構成要件を

無効にする

(2 82

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L2と言っているように︑違法阻却事由

は構成要件該当性阻却事由でなければならない筈である︒従って︑構成

要件該当牲は違法性の実在根拠ではなく︑その推定の実在根拠に過ぎな

構成要件を違法類型と考えるならば︑

, 

例えば一九九条の

~

殺シタルLを﹁急迫不正の侵害に対する権利防衛としてなされた殺人を

含まない﹂と解釈すべきであって(消極的構成要件要素の理論)︑これを

せずにわざわざ﹁一応の推定﹂段階︑﹁確定﹂段階の二つに分けるのは無

用であり且つ不当でもある︒違法阻却事由は行為の違法性を左右する重

要な要素であるが故に︑もしそれが構成要件要素でないなら︑構成要件

には違法性を左右する一切の要素を含むとした違法類型説が成り立た

ず︑反対に構成要件要素であるなら︑違法性﹁確定﹂の段階は不要であ

り︑違法性の軽重は論ずる余地がないことになる︒

こうして︑従来の構成要件該当性│違法性│責任の体系を維持しよう

とすれば︑主観的違法要素を構成要件内に取り込む違法類型説は否定さ

れざるを得ない︒ところが我国では︑小野博士をはじめとして違法類型

説を更に推し進めた︒ドイツ刑法典には﹁行為の遂行に当たり︑法律上

の構成要件に属する事情を知らなかった者は︑故意に行為したものでは

(

)

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て予見される事情を指すと解さざるを得ないが︑日本にはそういう規定

がないが故に単なる違法類型としての構成要件概念に踏み止まる必要が

ない︑という理由で構成要件は同時に責任類型でもある︑とした︒﹁構成

要件はもと特殊化された犯罪の概念である︒わが刑法は︑これを﹃罪﹄

として規定している︒責任のない﹃罪﹄というものは考えられない︒構

成要件は︑佐伯博士のいわゆる﹃可罰的﹄違法類型でなければならない︒然

るに︑可罰性は責任性を含む︒結局︑構成要件は違法性の類型化である

と同時に︑道義的責任の類型化であると考えざるを得ないのであるJ

この小野博士の見解に対しては︑前述の木村博士の批判がそのまま妥

当するであろう︒即ち︑小野博士は寸可罰的﹂を責任を当然含むところ

の﹁犯罪的﹂と同義に解されるが︑可罰性の換言すると犯罪成立の│一

要素である構成要件該当性判断に訟で既に可罰性を考慮するならば︑そ

れは前後転倒の誤りを犯すことになる︒また小野博士によれば︑責任能

力は﹁特殊的な(特別)構成要件においては︑一般的な前提条件として

(24.) 

(7)

捨象されているまでのことである︒有くも犯罪の類型である以上︑犯

罪は可罰的不法行為であるよ貝任の契機を含むのは当然であるω

て故意・過失についても﹁責任類型としての構成要件は︑当然にその行

為意思を含む︒いわゆる犯罪事実の認識又は認容(犯意)は︑その中に

含まれていなければならない︒過失も︑類型化された事実としては︑構

成要件(過失犯の)に属する岡﹂︒

違法類型と違法性の関係は︑責任類型と責任にそのまま当てはまる︒

なぜなら︑犯罪類型は一切の違法要素・責任要素を含む全体的類型であ

るから寸その理解のためにはそれをまず違法の側面から︑次に責任の側

面から別々にながめる必要があるグ︒責任の型(責任類型)は寸犯罪類

型の一つの側面であって︑責任の側から見た犯罪類型に他ならない♂か

らである︒従って︑可罰的責任類型としての構成要件には一切の責任要

素が含まれる︒責任能力︑故意・過失が含まれることはもちろんである

│︒この見解に対しては︑違法類型説に対してと同じく︑もし構成要件

にはすべての責任要素が含まれ︑それを全部充足することによって初め

て構成要件該当性が得られるとすれば︑既にその段階で有責であること

が確定することになる︑という批判が可能である︒積極・消極のちがい

はあっても︑責任阻却事由が責任を左右するものである以上責任要素で

あることは疑いないからである︒責任類型が有責らしいという推定しか

生み出さないことの根拠を︑小野博士がしばしば強調されているような

抽象的な概念としての﹁類型﹂性に求めるならば︑﹁違法阻却及び責任阻

却原由というものも︑類型的︑抽象的に規定されたものである︒しかも︑

それは︑総則規定であることによって︑各則的な構成要件よりも更に一

層抽象的なものである側﹂が故に︑違法・有責の推定を破る阻却事由も︑

適法らしい︑責任がないらしいという推定しかもたらさないことになる︒

小野博士はこれを認め次のように言われる︒﹁犯罪の構成要件は可罰的

な違法・有責行為の類型であるから︑その構成要件による可罰性を阻却

するには︑その類型化された違法性又は道義的責任を阻却するだけで足

りる︒その意味で︑違法性及び道義的責任の規制は︑構成要件の枠を限

界として行なわれると言うことができるであろう︒違法性及び道義的責

任を類型化した構成要件によって可罰性が設定される︒その構成要件的︑

類型的な違法性又は道義的責任を阻却する時は︑それによって既に可罰

性が解除されるのであるグ︒しかしながら︑阻却事由が違法・有責を確

定せずただ推定を破るだけのものであるとすれば︑換言すると構成要件

によって設定された類型的可罰性を除去するだけのものなら︑それはも

はや違法阻却事由︑責任阻却事由とは言えないだろう︒正確に言えば︑

違法推定阻却事由・責任推定阻却事由であり︑構成要件該当性阻却事由

に他ならない︒なぜなら︑推定は構成要件に該当したということから必

然的に生じる結果であるが故に︑その推定が破棄されたということは構

成要件該当性がないとされたということ以外ではあり得ないからであ

る︒そして阻却事由という抽象的類型によって阻却されるのは︑やはり

類型的な違法性でしかないということを承認すれば︑例えば違法阻却事

由について︑もはや﹁これらの場合には︑行為は適法化され︑全く違法

性のないものとされるのであって︑まさしく正当化事由である附﹂(傍点

筆者)とは号一口えない︒違法阻却事由は可罰的違法性はないらしいという

推定を与えるだけであって︑決して適法だと確定はしないからである︒

これが構成要件が一応の推定しかもたらさないことの根拠を類型性ない

し定型性に求めた場合の帰結である︒

これに対しては︑違法性及び責任の段階︑即ち阻却事由の有無を調べ

る段階︑では刑法に規定された抽象的類型に基づいた形式的判断のみを

するのではない︑と反論されるかも知れない︒例えば小野博士によれば︑

前に引用したように︑違法阻却事由・責任阻却事由は構成要件よりもっ

と抽象化された類型である︒﹁それ故にそれを具体的に適用する段になる

と︑形式的︑文字通りに適用することはできない︒やはりその実体を考

えて︑具体的に妥当な適用をしなければならない︒その実体とは︑結局

行為の違法性と行為者の道義的責任とであるJ︒﹁刑法は単なる実証主

(8)

義をもって解釈されるには︑あまりに深い哲学的︑倫理学的問題を蔵し

ている︒実証的な刑法の規定そのものに胎て既にその表現を見ているがl刑法三五条以下がそれである1我々は︑この実証的規定を通して︑そ

の法理的・倫理的な意味を了解しなければならない︒違法性論と道義的

責任論とは︑まさに構成要件の哲学的な法理即倫理を論ずるものに外な

らない仰﹂︒寸違法性と道義的責任とは︑共にもと倫理︑軌範的な判断であ

る︒ここで倫理とは︑人倫的生活の事理であり︑道理︑道義であり︑社

会生活に胎ける条理であると言ってもよい︒更に︑文化軌範文は社会軌

範ぞあると言ってもよい附﹂︒しかし︑違法性と責任がこのようなもので

あるとすれば︑阻却事由は決して可罰性を解除しはしない︒なぜなら︑

違法E

つ有責な行為の﹁類型化は︑国民的な道義意識に貯ける当罰性

( ω

c a w z

x v

として或る程度まで前法律的に存在しているのであ

るが︑法律的な可罰性百円

EP RZ

5を付与するためにその概念的な規定

が設けられる︒構成要件はまさに可罰的な違法有責行為の法律的定型で

ある︒違法で且つ道義的に責任のある行為は︑勿論︑それに限らない︒

刑法は国民的道義観念の上から見て放置することのできない︑国民倫理

法律的に可罰的なものとして規定している附﹂(傍点筆者)からである︒

つまり国民的道義観念の上から如何に刑罰を科すべき行為だと考えられ

でも︑それだけでは単に当罰的であるというだけで未だ可罰的ではない︒

﹁実定法に︑それを犯罪として刑罰を科する旨の定めのない行為は︑そ

れがいかに重大な行為であっても︑犯罪として処罰されることはないの

である♂︒これは罪刑法定主義の当然の要請である

b

それ故︑可罰性と

いうのはあくまで法律の︑刑事立法の効果である︒違法論・責任論に胎

て国民倫理・道義という実質的論議から出て来るのは︑前法律的な違法

性・責任の阻却ではあっても︑法律的な可罰性の阻却ではない︒倫理の

代わりに﹁全体としての法秩序グとか﹁客観的生活秩序として考えられ

た実定法秩序♂とか言ってみても同じである︒法秩序全体によって違

法・有責と評価されても刑罰を科せられることはない︒違法性に限って

言えば︑﹁ある行為が違法であるというだけでは未だ犯罪としては充分で

ない︒それが刑法所定の何れかの犯罪類型に該当するとき初めて処罰さ

れるものになるグ︒法秩序には刑法が含まれると言うならば︑やはり刑

法に頼ることになる︒構成要件該当性の判断が形式的であるのに対し︑

違法性・責任のそれは実質的であると言っても︑結局刑法!即ち三五条

以下の規定ーを離れては阻却事由は法律上意義ある何をも阻却しないの

である︒それ故︑社会倫理規範とか法秩序全体とかはせいぜい刑法に規

定された違法阻却事由・責任阻却事由の解釈原理だと考えねばならない︒

阻却事由の解釈に解消されてしまうべきものであって︑それ以上ではな

い︒これは超法規的とされるもの(可罰的違法性・期待可能性)に対す

る共通の反対理由となる︒

仰﹁故意には︑:・可罰的違法事実の認識だけでなく︑更にそのような事実

を実現する自己の行為が法上許されないものであるということの意識が

必要である

L

帥佐伯博士は︑故意に珍ける事実の認識と違法の認識の分離に批判的であ

ることに注意︒二四九頁︒構成要件的故意を認める立場では自ずから結論

は異ってくる︒参照︑団藤重光︑刑法綱要総論︑九O

故意には事実の表象・認容の他に﹁違法の認識の可能性﹂を要するとする

なら︑構成要件的故意は厳密には故意でないのであって︑用語法が不正確

間﹁理論的には︑そのような違法類型としての構成要件の概念は︑まだ犯

罪の一面を把握したものにすぎないのであって︑犯罪のいま一つの面であ

る故意・過失あるいは責任の側面はそれから除外されている︒理論上は︑

この責任の側面をも合わせて捉えるところの全体的な行為類型が構成さ

れ得るし︑またされなければならない筈である﹂︒佐伯︑一二四頁︒参照

せよ﹁刑法における違法性の理論﹂一O

(26) 

(9)

間構成要件とは二定の法律効果を生じるための法律前提の総体をいうも

のである︒刑法でいうならば︑刑罰を科せられるための法律前提の全部を

(

)

側佐伯︑一二四頁︒回巾

‑ z m

0

︿

︿

R

F2

ω

・ 口 ∞ ・

q w Z a g

∞ 円 四

・ ∞ 申

( E N S

∞ ・ 自 由

同 ・

側佐伯﹁刑法における違法性の理論﹂一二八頁︒

側例えば︑﹁違法機成要件の内容をもって︑もっぱら︑行為の外部的・客観

的要素だけを含むものと解すべきではなく︑内部的・心理的要素をも含む

ことを忘れてはならない︒そのような外部的並びに内部的要素であって違

法性の評価の対象となり得る行為を違法行為というならば︑構成要件は違

一三六頁︒違法定型説に対して︑小野清一郎は﹁メツガl

構成要件と違法性を混同するものである﹂と批判される︒犯罪構成要件の

()

R m q

E r

gE

R

ZF Z

(

)

‑ H E

側小野︑三七頁︒

帥小野︑二五頁︒

仰小野︑四六頁︒

側佐伯︑一二五頁

o m

側小野︑二七頁︒

側小野︑二八

l

側佐伯︑一九六頁︒

附小野︑二七頁︒

倒小野︑二五頁︒

O

頁 ︒ 制小野︑二六

1

i, 

. '  

'

"  

(48)仰)附 (45)

佐伯︑二一頁︒

団藤︑前掲︑三三頁︒

佐伯︑一七O

︿

N m

巾 ﹃ ・ 白

・ 白

0・ ・

ω ‑ E N

平場︑刑法総論議義︑六三頁︒

前章で述べたことを要約すれば︑もし構成要件が違法類型ならば︑そ

こには一切の違法要素が含まれるが故に︑ある行為が構成要件に該当す

ることは︑同時にそれが可罰的違法であると確定されたことを意味し︑

もはやその違法性の軽重を論ずる余地はない︑ということである︒可罰

的違法という言葉が使われること自体︑違法性に量を考え得るというこ

との証拠ではないか︑と言われるかも知れない︒そうではなくて︑﹁可罰

的﹂とは単に刑罰という刑法独特の法的効果を伴う可能性がある︑とい

うだけの意味である︒法的効果が一括して刑罰と呼ばれており︑そうい

うものをあるいは科せられることになるかも知れない違法性という意味

B n z r z m R Y

E

5と 一 一 一

もよいわけである︒他の法律に斡ける法的効果との呼称の相違が示され

ているだけである︒従って︑他の法律を眼中に置かず︑刑法のみ考える

ならば︑可罰的という言葉は不要だと言える︒可罰的違法性であること

は一々言わなくても当然のことであるから︑従来﹁可罰的﹂という言葉

を省略して単に﹁違法性﹂と呼んできたのである︒

責任についても同様で︑もし構成要件が責任類型であるなら︑この段

階で既に可罰的責任の有無が終局的に決定する︒それ故︑責任の量即ち

その責任は可罰的なそれか否かという実質的な考慮は入る余地がない︒

結局︑平場博士が指摘されているように︑構成要件を違法且つ有責な行

為の類型と考える立場は︑構成要件を﹁犯罪と同義語Lにしてしまうわ

けである倒︒責任も刑法に関して用いる場合︑可罰的責任であることは言

(10)

うまでもないから︑従来通り単に寸責任Lと呼ぶべきである︒刑罰とい

う刑法独特の︑他の法律に妙けるよりも重い制裁を科せられる行為と︑

そうでない行為という違いをもたらすのは︑違法性や責任ではなくて︑

刑法あるいはそれから解釈によって導き出される構成要件︑だからであ

こうして︑構成要件を違法・有責類型とする見解は︑構成要件を犯罪 る ︒

と同義にしてしまうが故に否定されねばならない︒違法類型説も従来の

体系を放棄しない限り採ることを得ない︒結局︑我々は最初の︑構成要

件は外部的要素のみから成る︑という立場に戻る︒これは単に振り出し

に戻ったということではなくて︑平場博士の言われる﹁記述的概念から

規範的概念への転換に引き続いて規範的概念から実在的概念宮与え山口氏自

2己 一

Lである︒先ず構成要件に貯て︑実体としての外

部的行為を捉えようとするω︒この行為は︑.違法・有責の推定といった実

質的な価値評価的色彩を一切伴わないという意味で裸の行為である︒

従って﹁行為論は犯罪論体系の出発点として未だ法的評価のつけ加わら

ない対象の世界の問題であるJと言えるだろう︒これに対しては︑構成

要件には裁判官による規範的・価値的評価を要求する規範的構成要件要

素が数多く含まれているのみならず︑そもそも構成要件自体違法・有責

な行為の法的定型であるということから︑﹁構成要件該当性の判断は︑ま

た︑これを構成要件的評価といってもよい︒それは一種の規範的な価値

判断│少なくとも価値に関係された事実判断ーでありグ︑従つ'て構成要

件該当行為は裸の行為ではあり得ない︑という反論が予想される︒しか

しこれは構成要件又はその要素の被評価性と行為めそれとを混同した

誤った批判である︒確かに立法者が社会倫理的に非難を受ける無数の行

為の中から取捨選択する場合には︑倫理的価値評価を行なうであろう︒

しかしこれは構成要件設定理由即ち立法者が刑罰を科するに値する(当

罰的である)と考えたという立法原因にすぎない︒換言すると︑否定的

価値評価を受けたのは類型的な行為であって︑二疋の構成要件に該当し

a

た具体的な行為(存在論的に生の現実として取上げられた行為)ではな

い︒また規範的構成要件要素についても価値評価が不可欠であることは

認める︒だがそれは﹁故ナク﹂﹁摂褒L﹁侮辱﹂といった語句の解釈にお

いてであってそれ以外ではない︒社会的・文化的評価によって︑どのよ

うな態様の行為があれば﹁故ナク﹂住居に侵入したことになるのかとい

う構成要件が予め明らかになる︑というだけである︒つまり現実の事態

への当てはめ以前の作業である︒裁判官の評価による補足が必要なのは︑

構成要件であって︑決して行為ではない︒更に︑構成要件はそのように評価されたものであるが故に︑それに該

当する行為もまた間接的に評価されているのだ︑と反論されるかも知れ

ない︒しかし︑この評価は実質的・社会倫理的なそれではなく︑もし責

任が具わっているなら刑罰を科すべき行為か否かという法律上の可罰性

に関する評価である︒それ故︑構成要件に該当することによって行為に

加えられたこの評価を除去する力を︑社会倫理ないし法秩序全体に基づ

く実質的違法性や非難可能性はもち得ない︒ここに佐伯博士等が可罰的

違法性と言い出された根本的原因が存するのである︒つまり︑違法論で

は違法性を﹁客観的生活秩序として考えられた実定法秩序﹂の見地から

実質的に把握すると規定しながら︑再びここに刑法上の形式的・類型的

概念に依拠する﹁可罰性﹂を持込もうとする︒当罰性即ち博士の所謂可

罰性は形式的なものではなく量を考え得る実質的なものであると反論さ

れるかも知れない︒しかしこの反論は違法性に量があるとした前提と矛

結局︑構成要件を違法有責類型として実質化すれば︑超法規的違法阻

却を根拠づける実質的違法論(可罰的違法性の理論)と︑超法規的責任

阻却を根拠づける実質的責任論(責任の本質を非難可能性とする規範的

責任論)の存在意義が失われる︒また︑構成要件が刑罰という法律効果

の発生の有無に関係するだけで︑価値的には無色とすれば︑そこに訟で

捉えられる行為の価値を問題にする実質的違法性・責任は可罰性(犯罪

(28) 

, 陶 与

参照

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